ブログで顔を出す必要はない

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出典:http://stat.ameba.jp

ブログは顔出ししなくてもいいし、したけりゃすればいい。それだけのこと。ぼくはブログで顔出しは必要ないと思っている。顔出ししてないからそのブログ自体を信用しないとか、そんなみみっちいことは言わない。逆にそんなに顔出ししたければ、芸人やユーチューバーになればいいじゃないの?と思う。

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ブログで顔を出す必要はない

ブログは文章を楽しむ場だと思う。文章を書いている人の顔はどっちでもいい。ものすごく美人なブロガーだったら、読んでいて冷静に文章を楽しめない。どうしても下心が芽生えて、スケベ心で読んでしまう。だから顔はあえて伏せておいて欲しいとさえ思う。

 

あなたに聞きたいことがある。全く同じ内容の一字一句同じ文章を書いたブロガーが2人いたとして、片方はブサイク、片方は美人だったら、どちらを好きになるだろうか?答えは聞くまでもない、100人いたら97人が美人に集まるだろう。残りの3人はゲテモノ好きだ。ブロガーにもユーチューバーにも美醜の問題は付きまとう。あと声の良し悪しもある。だから自分の顔に自信があるなら、選挙ポスターみたいに貼り出せばいい。自信がないなら無理に出す必要はないし、出さない方がいい。村下孝蔵のように声と歌はいいけど、顔がガッカリの場合もあるからだ。

 

あなたにもう一つ聞きたいことがある。ブログに顔出しをして欲しい理由とは何か?信用できないからなのか?人の顔が見えないとそんなに不信感を抱くものなのか?ぼくは顔が見えていようがいまいが関係なく、面白いものは面白いし、つまらないものはつまらないと思う。そこにビジュアル(自分の好み)まで入ってくるとややこしくなる。人はどうしても先入観でものを見てしまう。「このブログは私が書いてまーす!」デーンと顔写真があれば、顔の作りで印象を決めて読むことになってしまう。ぼくはこの美醜問題をできるだけ排除したいと考えている。歴史を振り返っても物書きや文化人には男女ともブサイクが多いことがわかる。ぼくはブサイクがいかんなく活躍できる場を守りたいのだ。

目の見えない患者の恋

有名な恋愛話に女性看護師と目の見えない男性患者の話がある。入院中に目の見えない男性患者が献身的に身の回りの世話をしてくれる看護師に恋をするのだ。看護師の方も男性のことが好きになった。あるとき男性は看護師に「僕の目が見えるようになったら結婚を前提に付き合ってほしい」と告白した。その後、無事、目が見えるようになった男性は、その看護師さんと交際し結婚した。めでたしめでたし、とはならないのだ。悲しい結末だが、これは実話で実際によくあることなのだ。(目が見える見えない別にして、入院中に看護師に恋をすることはよくある)

まとめ

相手の顔が見えないということは、いろいろ想像するわけだ。その想像が楽しいのである。あなたがこの目の見えない患者だったらどうする?看護師の立場だったらどうする?ぼくならどうするかと考えるが、答えはまだ出ない。唯一、答えが出ているのはぼくの好きな女性のタイプだ。けっこう仮面みたいなね!