1990年代、校内暴力の体験

2020年6月30日

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出典:ツッパリ、校内暴力
ぼくは中学3年間、柔道部に所属していた。中学3年のときには部長を務めた。中学1年生のとき、始めての部活動を見学することもなく即柔道部に決めた。これが地獄の始まりとも知らずに。ぼくは小学生のころから柔道を習っていた。スポーツ少年団という地域で月謝5000円を払えば教えてくれる集まりがあったのだ。

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校内暴力が酷い

ぼくが中学1年のときの中学校は、第何次かしらの校内暴力全盛期で上級生は荒れに荒れていた。とくに格闘技系の部活の頂にある柔道部は、3年生の数が15人に対して、2年生は2人だけ。ぼくら1年生はそうとは知らずに15人くらい入部した。先輩からのしごきは激しく。ここには書けないような内容のいじめもあった。
先生たちも不良生徒には体罰で対応していたが、先生の目の届かない部室内ではやりたい放題で、すぐに1年生の7人が辞めてしまった。ぼくは小学校から柔道一本だったので、辞めるという選択肢もないままされるがままだった。
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出典:校内暴力 – Wikipedia

暴力には体罰で対抗する先生たち

校内は3年生が廊下を木刀や竹刀を持って歩き回り、挨拶が無いとシバかれた。シンナーを吸っている先輩もいた。(その後はヤクザ)先生も暴力には暴力だろうということで竹刀を振り回し、暴力生徒を鎮圧していた。そんな暴力生徒の巣窟だったのが柔道部だった。いや、本当は表立って暴力を振りかざす先輩(5名)よりも更に質の悪い、陰湿な不良集団が柔道部の先輩たちだった。(10名)結論をいうと、本当に質の悪い先輩たちは、中卒もしくは高校中退(入学して即退学)組だったが、柔道部の先輩たちは全員、高校に入学してその後は普通に学生生活を送っていた。ズル賢い不良だ。
ぼくは下手に柔道の経験があったことと偉そうにしている態度が気に食わないと言われ、いじめのターゲットとして徹底的に暴力を浴びせられた。さすがのぼくも暴力のシャワーは勘弁してほしいと思い、部活を休んだ。部活を休むとすぐにぼくの家までパシリを使ってこさせ「誰々さんが呼んでるからこないとヤバイよ」と、ビビらされせて、仕方なくまた通うことになった。当時は行くしか選択肢はなかったのだ。

地獄の中1時代

地獄のような1年間だった。よく生きているな、とも思う。だからといっては何だが、社会人なってからの暴力やいじめやいびりなど大したことはない。嫌なら辞めればいいだけだからだ。もっと言えば、体格もそれほど変わらないから反撃することもできる。でも学生は違う。1年と3年では大人と子どもくらいの体格差がある。しかも辞めたいと思っても、住んでいる場所や親の問題も絡んでくるので、自分の意志では転校もできない。

失神ゲーム

実はここでは書けないと言った酷いいじめは失神ゲームだ。これは辛い。下半身裸うさぎ跳びでの校庭3周など屁でもない。(テニス部や陸上部女子の冷めた目を忘れない、男子やサッカー部は笑っていた)
失神ゲームを実際に連続3回やると死後の世界が見える。ぼくはあの時、本当は死んでいて今は夢の世界を生きているのではないかと思う時もある。いや、本当に死んでいるのかもしれない。気絶したまま白目を向いて。でもぼく以上の地獄を味わった経験がある人も多いと思う。そんなあなたの地獄をお聞かせください。あなたには殺したいほど憎い相手はいますか?

最後に

おかげさまで受け身だけは上手くなった。人間はいじめられていても恐怖で統治された場所では誰も助けてくれないことも痛感した。結局、最後は自分で解決するしか方法はないのだ。(当時はインターネットが普及していなかった)もしあなたが現在いじめられているのなら、全員殺してしまえとぼくは言いたい。でも殺せるかな?その覚悟と度胸があなたにあるかな?ぼくは当時の自分にこう問いかけたいのだ。