暴走するクソブロガー
暴走する脳科学: 哲学・倫理学からの批判的検討(河野哲也・2008年)を読んだ。今回はクソブロガーというテーマで書いた。内容はかなり暴走してしまった。しかしこのくらいキツイ言葉で書かないとクソブロガーには効き目がないのだ。クソブロガーはなぜクソブロガーなのか。その疑問のズームインしてみたい。
暴走するクソブロガー
ある人がブログを書いていたとしよう。その人に「何をしているんですか?」と尋ねると「ブログを書いているんです」と答える。その人にとってブログを書くことは意図的な行為だ。しかしブログを読んでみると全く面白味がないので「なぜつまらないブログを書いているんですか?」と指摘すると、その人は自分のブログを確認して「つまらないブログを書いているとは、気づきませんでした」と答える。つまり、その人にとって、つまらないブログを書くという行為は意図的ではなかったことになる。このことからわかるように、意図とはむしろ認識や、その人が持っている知識に関わる意識なのだ。
遡ると昔の人は自分の心臓がなぜ動いているのか、その原因すらわからなかった。 誰でも、毎朝、歯を磨く理由や、朝食をとる目的にはすぐに答えることができるだろう。すべての行為の原因を説明するには知識が必要だが、理由や目的を説明するのに知識は必要ない。
つまらないブログを書くブロガーは自分がつまらないブログを書いている自覚や認識がない。ブログを書く理由や目的は誰でも語ることができるが、なぜつまらないブログを書くのか、その原因を説明することは困難だ。なぜなら説明する為には知識が必要だからだ。
自由意志は存在するのか
せっかく「暴走する脳科学」を読んだので、一番気になった部分を抜粋しておく。
近年の脳科学研究で、ベンジャミン・リベットの自由意志に関する実験と議論ほど哲学的な論争を巻き起こしたものはないだろう。ここでいう自由意志とは、私たちが何か物事を行うに先立って「よし、やろう」と決意する意志のことをいう。私たちは、通常、この意志が自分の行為を始動させていると考えている。脳科学者のリベットの実験が明らかにした驚くべき事実とは、私たちが意識的に何かをしようと意志する際には、つねにその550ミリ秒前に脳の運動領域が活動を開始しているということである。これは何を意味するのだろうか。
もしこの事実が、私たちが決意するよりも前に、運動が無意識的に開始されていることを意味するのであるとすれば、次のような疑問がわいてこないだろうか。すなわち、私たちの決意は効果のないもので、自分で自由に意志して行為しているというのは主観的な思い込みや幻想の類にすぎないのではないか、という疑問である。
私たちはもしかすると落下する岩石のように、引力などの自然法則に従って動いているだけの存在かもしれない。しかし、その岩石に意識があったならば、“私は、自分の意志で下に移動しているのだ” などと思っているかもしれないのだ。
出典:暴走する脳科学 144ページ
アメリカの研究で「自由意志は無い」という結果が出た。例えば、人は自分が自分の意志で右手を上げようと決意する前に、すでに右手を上げることが脳内で決定されていて、その決定にただ従っているだけなのだと。
まとめ
クソブロガーで思い出されるのは、クソゲーだ。クソゲーで思い出されるのは、たけしの挑戦状だ。たけしの挑戦状で思い出されるのは、もちろんビートたけしだ。ビートたけしで思い出されるのは、元気が出るテレビだ。あの時代のバラエティー番組は面白かったと言われている。なぜそう言われるのか?それはくだらないからだ。圧倒的なくだらなさだ。つまるところクソなのだ。どんな美女でも、毎朝、便所の便器に跨り、ウー!なんて息んでいる。ウーウー、こんなん出ました!なんつって、それを見た旦那が興奮して、思わずやっちゃったりなんかして。ああ、気持ちいい!だって、それでデキた子どもがお前だー、なんつって!バカやろうー。
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