クソの役にも立たない無職
目覚めたとき、女はいなかった。この女も現実ではない。わけのわからない夢を見たのだ。昨日は酔っ払いすぎた。ひとり酒は、社会的に意味を為さないし、クソの役にも立たない。私は浅い眠りの中、で、また、深い眠りについた。起きると14時だった。あっちゃー。寝すぎちゃったよ。二度寝ほどクソの役にも立たないものはない。
クソの役にも立たないブログ
さーてと、ブログの更新でもしますかな。パソコンの電源を押し、フォームを作る。椅子に身体をハーネスし、サイバースペースにジャックインする。左手にはコーヒーを入れたマグを持ち、右手にはマウスを握りしめる。ヤフーニュースを流し読みする。どうやら今日も平和らしい。平和というのは実に不愉快だ。何もない日常ではブログに書くこともない。しかし私はこの平和な日常に感謝している。矛盾しているが、そういうことなのだ。シェイシェイ。
クソの役にも立たない人生
誰かが言った。「無職と生活保護は死ねばいい」って。働かざる者食うべからずってわけか。どうやらこの世界ではマネーがないと生きていてはいけないらしい。なるほど。金がなくても人が伸び伸び生きられる世の中にならないものだろうか。人間はすべての照明が消え、ロウソクの光だけになって初めて、ロウソクの価値に気づくものだ。
無職もいずれ人の役に立つ日が来る。しかし今のところその兆候はない。天涯孤独の身寄りのない老人は、死んだときに墓に入れないようだ。ああ、儚い人生。
クソの役にも立たない無職
こうも部屋で臥せっていると気が滅入るので、気晴らしに外出する。近所のスーパーマーケットのエスカレーターで、クソの役にも立たないババアとぶつかりそうになった。おっとっと。こちらは無職なのでとくに急ぐ必要がない。急ぐババアに向かって私は「どうぞ」と言い、先を譲った。ババアはニッコリ。少しだけ笑った。やけに動作のゆっくりとした老婆だった。たぶん育ちがいいのだろう。私は感謝の言葉をかけてもらったわけではないが、人の役に立ったことを、確信した。こんな私でも人の役に立つことができるのだ。
別の日にも同じようにゆったりとしたババアに遭った。よくあるレジで小銭を何枚も出すババアだった。幸いにもレジに並んでいるのは、私一人。東京中野にはこういった優雅な老婆が多い。声に張りのあるチャーミングなババアだった。無職力が大いに発揮される場面は、まさにこういうときなのだ。私は「どうぞ、ゆっくりやってください。別に急いでないので」とだけ言って、静かに待った。たぶん私がサラリーマンだったら、2,3発ピストルでそいつの脳天を打ち抜いているところだ。命拾いしたな。運の良いババアだぜ。
まとめ
私は日々の生活を絶望の色に滲ませにないように生きている。弱いものいじめをするのは簡単だが、弱いものに優しくすることは難しい。下手くそな同情はエゴになっちまう。クリスマスまであと一ヶ月。良い週末を。
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