幸せが見えない

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不肖、この浜田、お金がありません。はい。お金がないなら働けばと思われるでしょうが、私は坐骨神経痛を患っており、肉体労働の仕事はできません。清掃関係の仕事もできません。学歴も高卒で、特別なスキルはありません。年齢は36歳です。実家に頼ることもできません。なぜなら実家も貧乏だから。それに良好なコネもありません。私は一体どうしたらいいのでしょうか?答えは私にもわかりません。

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幸せが見えない

このような不肖な私にも一発逆転の大技はある。いや、ないのかもしれない。それは死ぬまでわからないこと。勝負は下駄を履くまでわからないからだ。ただほとんどの勝負はついているといってもいい。冷静に考えてね。犯罪者はなぜ生まれるのか。治安はなぜ悪くなるのか。なぜ覚せい剤や薬物中毒者になってしまうのか。なぜ、人は人を殺すのか。それらの犯罪者の心境について、今の私にはよくわかる。人間には二通りの人間がいる。追い詰められたとき、自分を攻撃するか、他人を攻撃するかの二通りに分かれる。私は自分も他人も攻撃したくはない。しかし人間とは弱いもので、いったん人生の歯車が狂いだし、転がり出すと自分では制御不能に陥ってしまう。

 

貧困は犯罪を生む。世界中で今も起こっている紛争を無くすためには、お金が必要なのだ。愛も必要だけど、まずはお金なくしては始まらない。お金が存在するために人は戦争を起こす。殺し合いをする。ならば、お金を無くせばいいのだけど、当面、無くなることはない。私は意味もなくそんなことを考えている。不運なのは、自分の努力が足りないからだという人もいる。自己責任論ってやつだ。私は異論を唱える。自己責任という理論は、人間が全員スタートラインを同じくして成り立つものだ。美人に生まれるか、ブサイクに生まれるかでも相当、人生が違ってくる。それに運や才能もある。どれだけ境遇に恵まれない人でも、運や才能に恵まれれば人生を謳歌することができる。

 

話が長くなったけど、私には幸せが見えない。テロリストが無くならない理由も私のような人が世界中に多くいるからだろう。それは分かってはいるけど、それを防ぐ手立てがない。世界中の貧困層全員に満足な現金を配ることはできない。私のブログが誰かの役に立っているとは思わないけど、私にはこうしてブログを書くことしかできない。幸せが見えないからといって、自暴自棄になることは許されない。私はこれからどうすればいいのか、まったくわからない状態にある。コンパスを失ったコロンブスのようだ。人生に後悔するとは、まさにこのことを言うんじゃないか。だけど進むしかない。前進あるのみ、愛も幸せも見えない航海にいざ行かん。行き先は天国か地獄か。