親の介護はしない方がいい

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親の介護をしない方法は、どんなに薄情者と言われようと、冷酷!外道!人間じゃない!と言われようと、冷血!無慈悲!非人道的!と言われようと、「私はしない!ゼッタイしない!」と高らかに宣言してしまうことだ。老老介護で共倒れになってからでは遅いのだ。

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親の介護はしない方がいい

親が生きていれば必ず通る道が親の介護の問題だ。一番多い意見は親の介護は自分でやらずにしかるべき施設に預けるというもの。金に余裕があれば各々の判断で好きにやればいい。私の場合、全財産が数万円なので、老人ホームに入れるのは金銭的に無理。弟はまだ十代なのでもっと無理。頼みの綱は妹夫婦。ただ母親は妹には頼りたくない模様。私は「老後の面倒は見ないからね」の一点張り。あとはお得意の神頼み。

 

母親は離婚して駆け落ちし、私たち兄妹を高知県から山梨県へと振り回してきた理由もあって、私はあなたの老後は見ませんよと言っているのだ。育ててもらった義理は合っても老後まで見る義務はない。と思っている。だからゼッタイしないのだ。

 

父親は、一度目の本物の血のつながった父親は、私が小さい頃に交通事故で死んだことになっている。二度目の育ての父親は、血のつながっていない方の父親は、現在、音信不通ときている。最後に私に言った「あとはお前の好きなように生きろ!」の捨て台詞だけを残し、そのまま音信不通と相成った。私としては非常に残念、朝から晩まで働くその背中を見てはいないけど、たぶん相当大変な過酷な現場仕事(肉体労働)をしていた父親だったから、ぜひその恩返しがしたいと思っている。が、音信不通なのだ。確か今は香川県に住んでいると言っていたような気がする。連絡があれば、全財産を投げうってでも援助したいと思っている。が、私の全財産は数万円なので正直、援助はきつい。援助以前に自分の生活がきつい。生活以前に人間としてきつい。よって、人間、貧すれば介護せずなのだ。

 

母親は65歳。山梨県に一人暮らし。週に何日かパートをして暮らしている。老後は見ないと言う私。だから私自身も自分の老後は誰にも見てもらわなくていいと思っている。国が健康寿命を延ばそうとするのも、安楽死を認めないのも、すべては税金を納める納税者が一人でも減るのが嫌だからだ。ただでさえ少子高齢化で人口が減っているのに、バタバタ死なれたらそれこそ国が持たない。だから命は重いとか、命を大切に、などと綺麗ごとを言うのだ。国の本音は「金は命より重い」だ。

 

親の介護はしない方がいい。しかしどうしたら老人が住みやすい世界になるのか?老人に限らず、万物が住みよい世界になるのか?を追求して行くことこそ、人類に残された最重要課題ではないのか?生きとし生けるものすべての生物を助けることは難しい。でも自分の親を助けたいと想う真心を持っている人間を私は尊敬する。

 

さっき、部屋に一匹の小さな蜘蛛が出た。私はその蜘蛛を捕まえて室外に逃がした。なぜだかわからないけど、気づくと私はそうしていた。小さな命。誰が粗末にできるか!そんな権利を私は持ち合わせていないのだ。あなたには殺せますか?蜘蛛が。私には無理。ゼッタイに。だってかわいそーでしょ?