大人になっておねしょをするということは、生きているということ

今朝、6時20分。私はおねしょをした。いや、37歳なので夜尿症というべきか。

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大人のおねしょの原因

大人になっておねしょをしてしまう原因、それはストレス、お酒、病気、ケガ、妊娠、出産、加齢、冷え、など。おねしょはつらいよ。夢の中でトイレに入っていっせのーせーで途中で目が覚めた。原因は深酒。子どもも大人も同じように寝る前に水分を大量に摂取したらおねしょをしてしまうのだ。

大人になっておねしょをするということ

また洗濯物が増えてしまった。ブログのPVが減って、お給料が減って、散々な目にあった。幸い、お布団までは染み込まなかった。でも大人になっておねしょをするということは、事実そんなことよりも相当辛いものがある。今まではどんなに飲みすぎてもおねしょをするまでには至らなかったのに。寝る間にもちゃんとトイレにも行ったのに。

生きているということ

生きているということは死んでいないということ。死んでいないということは生きているということ。夢と現実の判断ができない状態だからおねしょをしてしまう。もしもあなたがとても辛い人生を歩んでいるとしたら、そして死にたいと思って日々を過ごしていたとしたら、死んだらおねしょもできなくなってしまうじゃないか。と私は言いたい。死ぬな!とか、生きろ!とか、簡単には言えないけれど、生きるってのはキレイごとばかりじゃないんだと思う。辛いこと9、楽しいこと1。考え方しだいで辛いことの割合を減らすことができる。おねしょだって「おねしょしちゃったよ、最悪」って思ったら最悪の事態になるし、「なんだおねしょか、大きい方じゃなくて良かったな」と、思えば最悪ではなくなる。大丈夫、おねしょで死んだヤツはまだいない。でもおねしょで死んだらそれはそれでまたけっこう。おねしょで死んだ男して永遠に語り継がれるだろう。人がいつ死ぬのか?それは人に忘れられたときだと聞いたことがある。

もしもおねしょをしたと言われたら

もしも家族か知り合いか友達に「今日、おねしょしちゃった」って言われたら何て答えればいいのか?そんなときは「ああそうか、おねしょしたのか…。」と、すべてを受け入れることが大事じゃないかと思う。まずおねしょをした相手を認めること。それからしたという事実を認めること。別におねしょをしてはいけない道理はない。一人暮らしなら誰にも迷惑をかけないからだ。だけど、これがもしも結婚してたら奥さんから「てめー、この野郎!おねしょヤロー!誰がお前のパンツを洗濯すると思ってやがんだ!いっぺん死んで来いよ!」って言われる可能性もある(女性は虫の居所が悪いと驚くほどの暴言を吐くときがある)。そんときはキレイさっぱり自害したらいいんじゃないかと。でもそこでホントに自殺するのは文句を言った奥さんも本意じゃないと思う。ホントは「おねしょしてすまない」と、素直に謝ってほしかったり、自分で洗濯してくれることを望んでいるだけなんだよね。

どんな人にも優しい未来を

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誰もが大人になってから、おねしょをする可能性を秘めている。だから明日は我が身の精神で、相手のしてしまったことを批判せず、受け入れ許す。私はどんな人にも優しい未来を作りたいと思っている。まずはブログで一歩一歩。これからも地球に優しいおねしょをしていきたいと思う。出した後悔より、出さなかった後悔の方がきっと大きいはず。やらない後悔よりもやった後悔の方が、失敗しても自分で納得がいくはず。たとえそれがおねしょだったとしても、私はきっと後悔しない。