最新の介護現場は壮絶だった。療養型病院の介護スタッフの面接に行ってきた
先日、近場の特養型病院の介護スタッフ募集を見て、面接に行って来た。
療養型病院は植物人間たちの受け入れ先だった
はっきり言って地獄だった。100近くある床数はすべて植物人間と化した老人で埋め尽くされていた。面接官に1時間近く最新の介護事情を聴いた私は、病院介護の実態を知るに至った。
説明を受け、促されるまま、病院内を見学した私は、事前に面接官に聞かされていたような植物(話しかけても受け答えできない)人間が、話すことは疎か、食事も口から食べることができないということで鼻から管を通され、同じく尿も自力で出すことができないからと、下半身からも管を通された老人たちを見学して回ることになった。私も中学時代に修学旅行で原爆ドームを見学したけど、そのときよりもショックを受けた。
まさに地獄絵図だった。患者たちは皆、視点の合わない虚ろな目をしていた。古い建物だったので、どことなく病院内の空気も淀んでいるように感じた。患者たちは皆、ベットに横たわり死を待つのみといった具合に見えた。皆、蠟人形のように白かった。
一通り見学を終えた私は、何かに憑りつかれたように疲労した。面接官はそんな私に優しく説明を加えた。「私どもの病院は介護の最終地点に当たります。ここに来る人たちには回復の見込みはありません。全員、死を待っているんです」と。たぶんこのようなニュアンスだったと記憶している。私には死を待つというか、入院している患者たちはもはや死んでいるように見えた。骨と皮だけのガイコツだった。不謹慎だが、もしも夜勤のとき、暗い病棟で遭遇したなら間違いなく私は蠟人形にされていたのではないか。何か恐ろしい怪物の生贄になる。私にはそんな風に思えてならなかった。
ただ死を待つのみの老人たち
じっくり話を聴くと、介護にもいくつか種類があって、比較的元気な老人が多い老人ホームと、こういった病院のように退院するときは臨終してからという現場もあるようだ。コミュニケーションがまったく取れないよりは、多少なりともコミュニケーションの取れる方がやりがいもある。正直、私には向かないなと思った。しかし、死を待つのみの老人介護を仕事にしている人もいるのは事実。「介護業界的には病院が一番薄給なんです」と言っていた面接官。確かにただ死を待っているだけで生産性がまったくない人を看ることに、多額の税金を使うことができないのは頷ける。
面接官は私に「2025年に日本の高齢者がピークに達する」という話までしてくれた。つまり今よりももっともっと植物人間となった蠟人形のような老人が増えるというのだ。なんと恐ろしいことか!
療養型病院の介護スタッフの面接に行ってきた
最後に丁寧に、介護業界のこと、病院介護のことについて、詳細に説明してくれた面接官に、私は感謝している。たぶん私が介護業界未経験者だということを慮っての対応だろう。そして別れ際、面接官は私に何か質問はありますか?と聞いてきたので、ずっと気になっていたお給料日についての話を伺った。何はともあれ、とにかくお金というのは、私の悪い癖だ。以上、明日、連絡があれば無事合格となる。
はずだった。…。この時間まで連絡がないところを見ると、やはり落ちたのだろう。まあ落ちてもいいので良かったといえば良かったが…。それと嫌な予感がしたので、他にも面接を入れておいたことが功を奏した。老人ホームの仕事だ。今日、そこに受かったので事なきを得た。まだとりあえず本物の蠟人形にならずに済みそうだ。
おこがましいことだが、動きたくとも身動きの取れない植物状態の老人の分まで、私は体が動けるうちは動かなければならないと、そう思った。自分の体が自由に動くということは実は物凄く幸せなことなのだ。
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