買っても当たらない!宝くじを買い続けた俺の親父
宝くじに当たったらみなさんなら何に使いますか?
ぼくは、全額寄付しますよ、もちろんね!
宝くじを買い続けた親父
ぼくの、親父は宝くじが好きだった。
そんな親父は、よく母親と宝くじについて、口論になっていた。
母親いわく、買っても当たらないという。
それに反論した親父の言葉は、買わなきゃ当たらないだった。
ぼくは、子供ながらにそんな痴話ケンカを聞きながら、当たればいいなーと一人妄想していた。
ぼくは親父と当たったらどうする?なんて話したりもしてた、そんなくだらない話がぼくは好きだった。
父親と話すことが少なかったぼくは、無意識のうちに無口な親父と、共通に盛り上がれる話題を探していたのかもしれない。
そのくらいぼくと親父の会話はなかった。
今でも父親とは連絡すら取れないけど、親父は宝くじを買っていることだと思う。
ぼくはそんな親父を密かに応援している。
正直に言えば、母親の言う通り、買っても当たらないのかもしれない。
でもそんなことは気にせず、宝くじを買い続ける親父がぼくは好きだ。
親父は宝くじが当たったら仕事を辞めると言っていた。
ぼくはやめるのは当然だと思った。
親父は若いころからトンネル工事をしていた、一時期は給料袋が立つくらいもらっていた。
子供の頃それを見せられた記憶は、今でも残っている。
親父が酔っぱらったときにトンネル工事の話を少しだけ聞いたことがある。
親父が23歳のとき、一緒に工事をしていたおっさんがすぐ隣にいた。
すると大きな音がトンネル内に響いた。
バァァァーーーン!!!
振り返るとそのおっさんは大きな岩の下敷きになっていた。
どうみても助からない。
だってペシャンコに潰れているんだからね。
だけど、そんなおっさんを外までおんぶして連れて行ったんだと親父は言っていた。
曲がったことが嫌いな親父は、自分が一番若かったからそうしただけだと言ってはいたが、そうすることが、たとえ助からないにしても人間として大切なことだということをぼくは教わった。
そんなことが幾度かあったと親父は言っていた。
だから俺が今生きているのは、運が良かっただけなんだと言っていた。
ただ運が良かっただけだと。
だって大きな石が落ちてくるところに偶然いることは、運が悪いとしか言いようがないのだから。
そんな親父の嫌いな言葉は、運も実力のうちという言葉だった。
でもぼくは、そんな親父に言いたいことがある!
運も実力のうちだからこそ親父の頭には石が落ちてこなかったんだということを。
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