相模原障害者殺傷事件、重複障害者は本当に死んだ方がいいのか?
とんでもない事件が起こりました。
相模原市緑区千木良の知的障害者施設「津久井やまゆり園」で起きた19人もの死者を出した殺人事件です。
犯人は、同施設の元職員で26歳の男性でした。
深夜の寝込みを襲い、施設の職員を縛って犯行に及んだといいます。
この事件は、ただの通り魔的な犯行ではなく、事件前から準備されたものだったようです。
重複障害者は死んだ方がいいのか?
犯人が言った言葉で意思の疎通のできない障害者(重複障害者)は、不幸なだけで安楽死させた方がいいと言っていた。
ぼくは自分が健常者なので、想像でしかないが、もし自分が障害者だった場合、死んだ方がいいと考えるだろうか?
・・・
ぼくは考えると思う。
それは今の健常者のときも考えるからだ。
ぼくはよく死について考えることが多い。
この安楽死問題も賛否が分かれる問題だ。
この犯人の言う、障害者は不幸なだけで安楽死させた方がいいという極論も安楽死させた方がいいという人もいれば、いやいやそんな残酷なことはできない、亡くなっていい命などこの世にはないという人など意見は割れる。
結論、この問題の正解はないということだ。
もし自分が障害者の子を持つ親だった場合、とても大変だと思う。
そこだけはよくわかるのだが、ぼくと妹は小さいときからアトピー性皮膚炎に悩まされてきた、どんな病院に行っても治らず、食事や生活そのものがアトピー対策中心になっていた、幸いぼくは大人になると完治したけど、妹はかなり重度なので未だに治らない、本人はそれを表に出さないが、辛いのは兄としてよくわかる。
ぼくはアトピーに関しては、詳しいので今度記事にしたいと思います。
そのぼくの小さいころの経験から思うのは、子供が何かしらの病気や障害がある場合、ものすごく親は苦労するということだ。
それをまじかで見てきたぼくが言うんだから間違いない。
でもだからといって死ぬとか殺すとかはないと思う。
でも家の母親も何度殺そうと思ったかわからないと言っていたから、そうとう大変だったんだろうと思う。
それに生まれてきたのが意思の疎通ができない子供だった場合、あなたがその親だったらどうだろうか?
ニュースのコメンテーターのセリフのようなきれいごとだけで語らないでほしい。
でもこればっかりは身内にそれに近い人がいない場合は、わからないし、わかるわけがないと思う。
この犯人のしたことは決して許されることはないが、犯人の考えることは一部では何となく理解できるとぼくは思う。
それでも安楽死させるといっておいて刺し殺したら、安楽死ではなくなるのだけど。
こういった問題は、簡単には解決できないことではあるが、家族が安楽死を選択できる制度はあっていいと思う。
家族が選ぶ分には問題ないのではないかと思う。
だって面倒みるのは結局身内なんだろうし。
この事件を受けて、みな個人個人考えたと思う。
なにも考えずに、批判だけするのは誰にだってできる。
そうではなく、一歩踏み込んで、自身の想像力を働かせて考えると、少しは犯人の気持ちも理解できるのではないだろうか。
少なくともぼくは、たぶんこんなことを考えていたのかな~程度は分かる気がする。
世界ではテロで数十人、数百人の人が亡くなるニュースが最近頻繁に流れてくる。
そんなことよりも、今、雨が降っているのに傘がないことが問題なんだという人もいるだろう。
そう思うことは別に罪ではない。
人それぞれ置かれている状況が違うんだからしかたない。
最後にひと言。
このようなことが二度と起きないことを祈る。
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