ハウスダストが降り積もる夜には
埃はどこからやってくるのだろう。
天気のいい日は、窓からの陽光のなか、ゆらゆらと煌めく埃たちが部屋を占領している。それを見て慌てて息を止める。
もし埃が大好きだよという人がいたら、ぜひ会ってみたい。興味本位で。
ハウスダストが降り積もる夜には
掃除しても、換気しても、埃ってヤツはしつこい。気づくと雪のようにテーブルやテレビやフローリングの床や読みかけの本の上に、万遍なく降り積もっている。雪のように。
そんなハウスダストが積もる夜に、やらなきゃならないことがある。換気と掃除だ。でも夜は近所迷惑だから、また今度にしよう。ルンバがあるじゃないか!心の声が聞こえる。しかしこの狭い部屋では、さすがのルンバもお手上げだろう。きっと。
とりあえず埃が積もったテーブルに「好き」と書いてみる。
寂しさが倍増した。
その隣にLOVEと書いてみる。
切なさが倍増した。
最後の残ったスペースにさよならと書いてみる。
なぜだか急に悲しくなった。
ふたりは別れたのだろうと思った。
現実には誰とも付き合っていないし、別れてもいないが、好きが愛に変わり、いつしかその言葉たちは、さよならに変換されたことがわかった。埃が恋愛ドラマの特別なシーンを飾った。雪ではなく埃に書くというのがミソである。
埃を食べる妖怪
熱帯魚の種類の中には、水槽の苔や汚れを食べてくれる魚がいる。
だったら、部屋のなかにも埃を食べてくれる生き物がいてくれてもいいじゃないかと思った。妖怪にはあかなめという風呂場に現れる妖怪がいる。浴槽にこびりついた人間の垢を食べてくれるきれい好きな良い妖怪だ。
でもあかなめは居ても、ほこりなめはいない。他人の垢は舐めても、部屋のほこりはダメなのか。どっちも似たようなもので一緒な感じがするが、それらは全くの異物であり、妖怪すらも敬遠する代物なのか。埃という物質は。
ぼくは埃を見つめてみた、つまんで口元まで持っていく、、、これを食べたら病気になる。脳がぼくに囁いた。
ほこりを持って生きなさい
中学生のときに先生に言われた言葉がある。
「ほこりを持って生きなさい」
埃と誇りは、別次元の言葉であるが、同じイントネーションで同じ発音なのに、日本語とは複雑なもので、意味がまったく違ってくる。外国人がはじめて日本語を覚える際に、真っ先につまづく点はこれではないのか。
ほこりを持って生きなさいの意味を、ズボンのポケットの中にある埃を指で丸めて、固めて、暇なときにでも、その埃団子をいじって生きなさい(それをいじることによって安心感が得られるという人生の教え)という意味だと勘違いしている外国人の方がいるかもしれない。まさかとは思うが。
東京にもそろそろ積雪があるだろう。
そしてぼくの部屋にもたくさん降り積もるだろう。それはそれはきれいな埃が。
そろそろ真面目に掃除をしなければいけませんね。
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