「人生に疲れた、消えたい」大丈夫あなたがいなくなっても世界は回る
私なんていてもいなくても同じ存在。だからいっそのこと消えてなくなってしまえばいい。そんな投げやりな感情になっていませんか?この世に必要とされない人間など、いなんのですよ。
そう思う根拠は以前書いた記事の働かないニートが全人類には必要な存在だった!にあります。よかったら見てみてください。(過去に書いた記事なので、ちょっと読みづらい箇所もあるかと思います)
Googleに否定された僕の仕事
ぼくも昨日書いたブログの記事がアドセンスの禁止ワードに引っかかってしまい、泣く泣くその記事を削除しました。しかもぼくとしては人生(10代後半から20代)の仕事をすべて否定されてしまったのです。書きたくても書けないんです。そんな仕事をしてきた自分が悪いんでしょうか?
この世に存在している仕事である以上、需要と供給の上に成り立っているはずです。もちろん犯罪行為はいけませんが、日本の法律上許されている職業である以上、規制されることは、おかしいのではないかと考えます。しかし理不尽なことが、まかり通ってしまう世の中ですから、その規則に自分が合わせていかなければ、生きてはいけないという現実があります。
過去よりも今を生きる
過去のことをグチグチ言っていてもしょうがありません。問題はどうしたら、疲れて消えたいと思ってしまう人生から脱却して、自分らしく楽しい人生を歩んでいくことができるのかということです。
未来を見据えて生きてしまうと不安感が増すばかりですから、重要なのは未来を考えて生きるのではなく、今このときを生きることです。
賢い人間は、未来のことを考えながら生きています。だから保険に入ったり家を建てたりするのでしょう。
でもそれが足かせとなり、不幸になることだってありますよね。ならどうすればいいかって?それは、どうせ先のことなど運なのだから、未来のことを考えるのは良いことだけれど、考えすぎるのは意味がないってこと。ことわざでいうと「下手の考え休むに似たり」です。
いまを生きるって適当にダラダラ生きるんじゃなくて、今やっていることが未来の幸せに向かっていっていることなのか、どうなのか?考えながら逐一修正を加えたり、試行錯誤して生きることじゃないかと思います。
大事なのは、その未来のゴールが自分にとって正しいゴールなのか?これが一番重要で、このゴールの設定を間違うと、どんなに努力したって幸せにはなれないということなんです。
偉そうに言うお前はどうなんだ?
ぼくはまさにそのことを35にして考えながら生きている。その考えが間違いなのかもしれないけど、何とか消えずに生きている。
人生は疲れる。本当に疲れる。
誰も頼る人がいなくて、孤独で・・・。
そんなときこの言葉を思い出す。
「大丈夫、あなたが消えても世界はいつも通り回っていく」
人生に疲れた僕のような方へ、時間があれば
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