変態が生きていくときに、覚えていてほしいこと
肛門期からぼくは、まだ卒業できていない。
精神分析学の創始者ジークムント・フロイトは言った。お前らまだ肛門期で立ち止まってるの?と。世界には変態と呼ばれる性的倒錯者が約35億人いると言われている。この35億人のうち、およそ1%に当たる3500万人の変態が日本には生息していると考えられている。変態は主に、正変態、準変態、変態予備軍の3種類に分類される。これらはぼく独自の夏休みにおける自由研究であるが、大人になると研究結果を発表する場がないため、こうしてブログにシコシコとアップしているのだ。
肛門期とは
先ほど言ったように、変態にも様々な種類の変態がいて、画一的な議論は憚られるので、ここでは心理性的発達理論の肛門期に焦点を当てて考えてみたいと思う。調べればわかることだが、肛門期を簡単に説明すると、2~4歳の幼児のときに親から躾けられる排便訓練のことで、この時期のお子さんに適切なトイレットトレーニングを行わないと、その後の人格形成や性格に大きな影響が出るというものだ。
変態が生きていくときに
肛門期が分かれば次は、と、ここが最重要ポイントになるわけだが、ここが一番難しいところでもある。それはタイトルにある「変態が生きていくときに」の変態であると、自ら認めることである。
詳しく言うと、自分の内面を見つめ、正しく理解することだ。すべてはここから始まると言っても言い過ぎではない。ぼくのように毎日仕事もせずにブラブラしている孤独者なら、自然と自分の気持ちと向き合い、「人間とは精神である」との境地にまで達することもできる。しかし、ほとんどの人は仕事や人間関係に疲弊していることから、自分自身を見つめることに時間を割くことは容易ではないはずである。
覚えていてほしいこと
自らを変態中の変態だと認め、覚悟を決めて生きていくならば、覚えておいて欲しいことがある。
変態としての自らの欲望や欲求を達成したいと願えば、幼女を誘拐したり、全裸になって町を走り回ったり、下着を盗んだり、はたまた盗撮したり覗いたり、痴漢したり、無理やりやっちゃたり、物に性欲を感じたり、多種多様なフェチズムに倒錯したり、と、書き出すと終わりがないこの性愛に対して、達成したいと願うならば、その欲求そのものをそのまま得ようとするのではなく、その抑えきれない衝動を、社会的、道徳的なことに昇華させなければならない。その工程を経ることができるまでに自らを高めなければならない。それこそが現代を生きる文明人であることの証明ではないだろうか。
以上がぼくの夏の自由研究の前書きである。
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