孤独死なんか怖くないのです。
孤独死のニュースが多い。当たり前だと思う。40代~60代の人口が多いんだから。でも孤独死は怖い。そんなイメージがある。なんで怖いのか。と考える。それは孤独ではなく、死が怖いだけではないだろうか。それに寂しさの象徴である孤独が合わさることによって相乗効果で恐怖が増している。ぼくは死は怖いが孤独死は怖くない。ぜんぜん。だって死ぬときは皆ひとりなんだから。
孤独死ニュース
最近の孤独死関連のネットニュースを集めてみた。
すべて川越美和さん関連で。「孤独死」で検索してトップに出てきたニュースを集めただけ。これだけネット記事で孤独死怖いと煽られれば、誰でも怖くなる。記事によれば片付けられないネグレクトが中年独身の特徴。掃除ができない、ゴミが捨てられないことによって孤独死すると言っている。なるほど。裏を返せばキレイ好きは大丈夫だということだ。ぼくはギリギリ大丈夫だと安心した。ゴミくらいは捨てているしね。
孤独死は怖くない
ぼくは孤独死が怖くない。死ぬときに手を握られたり、「お父さん」「しっかり」などと耳元で騒がれたら、気が散ってしょうがないからだ。それに苦しみもがいている最中の自分の顔など他人に見せられたもんじゃない。うーって唸ってたり、目の玉をむき出しにして暴れまわっている様を人には見てほしくない。ぼくは世間体や見てくれには人一倍気を遣うオシャレさんなんだから。静かに逝かせてほしい。
理想の死に方
でもできればと言ってはなんだが、美女のお尻を触りながら逝くのが理想だ。そこまで美人でもなくてもいいんだけど、優しい女がいい。ぼくは女の尻を撫でながらイキたいのだ。もうイッてしもうたん。…。もしもこの願いが叶ったらぼくは突然息を吹き返すかもしれない。それ以上の行為に及んでしまうかもしれない。その時は許してほしい。痴漢で逮捕しないでね。
看護婦さんの優しさ
こういう考えに至ったのもちゃんとした理由がある。それは昨日、坐骨神経痛の悪化に伴い、五反田にある長沼ペインクリニックにて腰の脊髄にブロック注射を打っていたときのこと。元来、注射や痛いことが大嫌いなぼくは(ピアスも開けれないくらいの痛がり)看護師さんに言われた通りに腰を丸めて、長沼院長の注射針の受け入れ態勢を整えていた。恐怖の瞬間である。麻酔を打つので痛くはないのだが、その麻酔注射がチクッと痛い。決して美人とは言えない、出るところが出ていない細身の看護婦さんが大丈夫ですよ~と優しく声を掛けてくれた。それがぼくには天使に見えた。(本当はぼくの姿勢が目をつぶって横を向いているので看護婦さんの顔は見えないのだが)
ぼくはその麻酔とブロック注射の恐怖に打ち勝つため、看護婦さんの股間を想像した。看護婦さんの骨ばった股間だけに神経を集中させた。そしてぼくと注射との戦いは無事終わった。終わってみるとあっけなかった。看護婦さんいろんな意味でありがとうございました。
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