寝返りすら音が出ないように気をつかう、避難所では寝れない

2019年8月7日

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「避難所」より「車」。孤立する被災者の選択 – Yahoo!ニュースを読んで。

実際に現地を取材したノンフィクションライター中原一歩さんが現在の熊本の被災地の現状を伝えてくれている。

私が熊本地震について語ること自体、はなはだ失礼かと思う。

なぜなら何もしていないからだ。

ボランティアや募金についても何もしていない。

日本中の人々が自分になにかできることはないかと思い、行動に移した方も大勢いると聞く。

私はそのとき何もできなかった、いや、しなかったのだ。

ただの傍観者だったんだ。

そんな何もできない自分に罪悪感を抱きながらいま生きている。

こんな自分勝手な罪悪感など意味のないことであろうし、1円でもいいから募金したりした方がよいのだろう。

でも、募金してもそれがどのように使われているかはわかりようがないから躊躇してしまう・・・

という言い訳でした。

すいません。

 

そんな思いの中、読ませていただいた記事が上で紹介したものです。

記事の中核は体育館などの避難所では寝られない人々が車で寝泊まりしているという現実だった。

そりゃ1週間くらいであれば、我慢も利くだろう。

しかしその状態がさらに続いたらどうだろうか?

答えは無理だ。

想像するだけで息が詰まりそうになる。

夜、消灯時間が過ぎても何十人といる避難所でみんなが一斉に眠りにつけるわけがない。

隣の音を気にしながら、自分は人に迷惑をかけないように寝返り一つにも慎重になる。

いびきや寝言、歯ぎしりなどは以ての外だろうし、でっかいオナラなんかした日には音は出るわ、臭いはするわ、恥ずかしいわでとてもその場にいられないだろう。

私はいびきを掻くので間違いなく追い出される。

また大きい地震がくるんじゃないかと日中気の休まらない日々を過ごして、寝るときまで気を使うんでは、息苦しくてしょうがない。

 

だから、寝るときは車で、となる。

エコノミークラス症候群にならないようにできるだけ足を伸ばして寝ているんだろう。

家屋は倒壊していないが倒壊の恐れがあるといわれれば、安心して寝ることなどとてもじゃないができない。

 

きちっとした仮設住宅ができるまでは車で寝ることになる。

 

大勢が集まる避難所はその人の性格によっては大変苦痛になる。

社交的でなく、孤独が好きな性格の人は必要以上に他人に気をつかって疲弊してしまう。

 

よって一人になれる場所を探すことになろう。

 

これから梅雨を迎えて夏になる。

照りつける太陽の下、避難所の体育館にはクーラーもない。

車の中は蒸し風呂状態だろう。

クーラーを効かせばバッテリーが上がる。

熱中症対策も必要になってくる。

・・・

その前になんとか仮設住宅、もしくはプライバシーを守れる場所ができることを切に祈る。

 

私には何ができるだろか、なにかできることはないのか、今一度考えてみたい。