最強のひきこもりはヒモ

2019年8月29日

38才、中肉中背、貯金ほとんどナシ。最近、頭がハゲてきた。それが私だ。

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ヒモの毎日とは

今年某月、はてなブログを下ネタで追い出され、今は細々と日記を更新する毎日。そんな私はただのヒモではない。近代的なヒモなのだ。毎日プログラミングの勉強をしている夢見がちな人間だ。もうすぐ40才になる。今さらプログラミングを覚えてもプログラマーとして雇ってくれる企業は皆無。40才未経験ではプログラマーになれないのは百も承知。ではなぜ学ぶのか。理由は学びたいから学ぶのだ。やりたいからやるのだ、としか言いようがない。令和時代のヒモの毎日とは意外にも勉強の毎日なのだ。

ヒモとは何か

ヒモの定義とは何か。ヒモとは何か。それがわからないからヒモなのだ、としか言いようがない。

ひきこもりとは基本的に親元で実家暮らしが定番だ。私は実家暮らしではなく彼女と同棲している。ひきこもりとヒモとの違いはそのくらいだ。どちらが偉いとか偉くないとかの問題ではない。どちらも第三者の収入によって生計を立ているのだ。ヒモとは第三者のお金によって生かされている存在なのだ。

最強のひきこもりはヒモ

正直に言うと、ヒモよりもサラリーマンの方がある者にとっては気楽で充実した生活を送れるように思う。サラリーマンは誰からも非難されないが、ヒモは非難の対象になる。私は他人からの評価を気にする小心者。自信過剰な愚か者。しかし人間としての最低限のモラルは守らなければならない。ヒモは決してブレてはいけない。迷ってはいけない。焦ってはいけない。ヒモとは一番大切な人と常に繋がっていなければいけない。最強とはある意味で最弱なのだ。

好きな女のために

性と愛の分離とでもいうべきか。性を性だと考えているうちはそれはただの性欲でしかない。あなたは好きな女のために死ねるだろうか。あなたは好きな男のために死ねるだろうか。最強のひきこもりはヒモではない。最強のひきこもりとは親と共に滅びゆく子供であり、ヒモとは決定的に違う点が一つだけある。それはヒモとは常に心にピストルを忍ばせている者のことをいうのだ。その弾倉に弾は2つのみ、ピストルを使う用途は2つ。一つはヒモとして好きな女を守る護身用にと、もう一つは自分用にだ。ヒモはいつでも自分が死ぬことに対して寛容でなければならないのだ。