もうすべてが手遅れ

プログラミングにしても、ブログにしても、YouTubeにしても、ツイッターにしても、すべてが手遅れなのだ。

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もうすべてが手遅れ

あきらめればすぐに楽になれる。38才から何かを為そうと思ったところで難しいのは理解している。努力したところで先は見えているのもわかっている。ほとんどの人がそうであるように、妥協、あきらめ、ボランティアの精神で自分を騙しながら、自分に折り合いをつけて生きている。金を稼ぐ者もいれば、飛びぬけた才能を発揮する人もいる。大多数の人は凡人として一生を終える。社会の歯車の一員として人生を全うする。一部の才覚ある人間や魅力ある人間の引き立て役に没する。村人A。劇の配役であれば通行人やエキストラ。それが幸せだという人もいる。

 

私は今の状況が特別不満なわけではない。上を見ればキリがない。東京にいるときよりも生活に困窮するわけでもなければ、寂しいわけでもない。性欲では満たされない部分もある。しかし性欲とは満たされることのない欲望だと経験を元に理解している。どんなにいい女と遊んでも3日も経てば、また遊びたくなる。どんなにいい女でも同じ女とばかり遊んでいると3年もすれば飽きてくる。要は性欲を完全に満足させることは不可能なのだ。性欲とはつまり飢えた野獣。食べても食べても数時間後には空腹感に苛まれる。私が知る限りではこの性欲という煩悩に支配されている人間が多い。

 

挑戦あるのみ。失敗してもいい。失敗を恐れず挑戦する姿勢こそ本来の生きるという意味ではないか。挑戦して挑戦して挑戦して。見渡せば十中八九負け戦だとわかって戦わない人間ばかり。仕事して帰って来て寝るだけの人生に意味はない。それはただ生きているというだけだ。虫となんら変わりはない。私のブログに批判的なコメントを書き込んでいる人間も何事にも挑戦しない。失敗を恐れているただの臆病な暇人でしかない。何かに一生懸命に取り組んでいる人間は他人のブログを批判している暇はないのだ。