あなたの経験は他人からすれば価値がある。わけない。

ブログを始める人へのアドバイスで「あなたの経験は他人からすれば価値がある」という言葉がある。素直な人はその言葉を真に受け、ブログを書き始める。私もそんな中の一人だった。

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あなたが普通だと思っているその経験は他人からすれば価値がある。わけない。

今までに自分の生きてきた経験が他人からすると価値のある情報だ。

言葉に踊らされた私はブログを書き始めた。3年後、自分の生きてきた経験が世間には何ら価値のない経験だと知った。絶対的絶望感。

拳を固く握りしめ歯を食いしばり貧乏ゆすりが激しく止まらなくなった憤懣たる思い。私は最近、楽しくないと激しい貧乏ゆすりをする癖があることに気がついた。集中力が切れると髭の剃り跡が気になることにも気がついた。そして私は私の経験が全くと言っていいほど金にならない価値のない情報だということに気がついたのだ。どうやら気づくのが少々遅すぎたようだ。私がブログを書き始めたのは2016年の春。もうすぐ4年目になる。

 

私は犯人捜しをするつもりはない。「あなたの経験は他人からすれば価値がある」というフレーズを一体誰から聞いたのかSNSで見たのか誰かが書いたブログで見たのか、今となってはもうどうでもいいことだ。価値とは役に立つ情報か面白い情報かのどちらかで、そのどちらも持ち合わせていない情報にはやはり価値はない。たとえばさっき私がアパートに設置されている自動販売機でコーラを買って飲んだ感想を誰が知りたいと思うかということだ。そんなものは下痢をしたオンナが下痢便をご飯にたっぷりかけ、わたしがそれを食べ、「うーんこれは薄味だね」という感想を述べる話と同義ではないかと思う。

 

ここからもわかるように誰にも求められていないブログには価値がないのと下ネタにも同様に価値はないのだ。これは私が価値があるのかもしれないと誤った勘違いをしてしまったことが問題の発端となっている。気づいたときには引き返すことのできないブログという魔道に入ってしまったのだ。稼げない上にコメントで批判されるという絶望のサンドイッチ。食べたら腹を下す。ブログの集団食中毒。治すには薬が必要。完治するには適切な治療が必要。原点回帰したいが問題は、帰り路がすぐには見つからないということ。見通しが甘すぎたということ。結局「あなたの経験は他人からすれば価値がある」という魔法のフレーズに踊らされ価値があると思い込んでしまった。とんだピエロだった。