凡人は結局のところ頑張るしかない

最近の自己啓発関連を見ると頑張らないことが評価されているように思う。天才ならそれでもいいが7割方の凡人は頑張らなければずっと底辺をさまよい続ける迷える子羊のごとく、オオカミに食べられる運命にある。

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凡人は結局のところ頑張るしかない

自己啓発を一言で表すと頑張ってより良い方向に成長するという意味になる。何の努力もなく考え方を変えただけで楽に幸運を手にするという類の自己啓発もあるが嘘である。考え方を変えただけで何も行動しなければ幸運など手にすることはできない。つまり努力しなければ成長はないということだ。そうなると次に人が考えるのはできるだけ早く楽に成長したいというチートはないかと情報を探し回る行為だ。巷にはそういった情報であふれ返っている。人はできるだけ苦労しないで生きたいと思う生き物なのだ。

では苦労しないで生きてきた人はどんな人かといえば、当然苦労している人の気持ちに寄り添うことのできない自分勝手な人間となる。それが私である。私は昔からそれほど血のにじむような苦労をしていない。生い立ちから話し出すと長くなるため割愛するが要点をまとめると以下、幼少時、両親が離婚し母親と共に新しい父親の元に引き取られ、工業高校へ進学するも1年で中退(その後、通信高校を卒業する)、地元の土木作業員から始まり、上京する。

私が10代の頃に頑張ったことは、工業高校に入学するための受験勉強と土木工事の仕事だ。 受験勉強は受験半年くらい前から苦手だった数学と英語を重点的に勉強したことくらいだ。 もちろん一番は頑張ったのは土木工事。しかし当時頑張った土木工事の知識や技術は今の生活に何ら幸運をもたらしてはいない。人生とは端的に言えばそんなことの繰り返しなのだ。

高学歴の人は低学歴をバカにし、高収入の人は低所得者をバカにする。そんなくだらないことに優越感を覚える。それが人間の姿なのだ。現実問題として全員が高学歴になれるわけでもなければ高所得者になれるわけでもない。完全な椅子取りゲーム。そんな下らない不毛な競争で疲弊するよりも、自分がやりたいことに精を出すことに私は価値があると思う。というか思うしかないのだ。でなければ劣等感に苛まれ、コンプレックスを払拭できないからだ。誰だって無駄な苦労などしたくない。毎日ボーと過ごしたいし、一日中ゲームや自分の好きなことをして過ごしたいのだ。ただ、本当にそれでいいのだろうかと考える。ブログだって書きたいなら書けばいいし別に書きたくなければ書かないでいい。人間できることはできるができないことはできないのだ。ただ、本当にそれでいいのかと考えることが私には必要なのである。