お金が無いと勉強することすらままならない
そろそろ完全に金欠になる。日払いのバイトはないかと求人を探す。
お金が無いと勉強することすらままならない
お金が無いと旅行にすら行けない。近所のスーパーで買い物をするのが関の山。だから当然、世間を騒がせているコロナウイルスとも縁がない生活になる。出張で世界を駆け回るビジネスマン、大勢の人と接する業界で働く人たち、明日から長い春休み期間となる学生たち、その親たち。すべて無職の私にとっては無縁の世界の住人たちである。しかし私の妻であるアイコさんは、れっきとしたビジネスパーソンであるためリモートワークにならない会社に少々苛立ちもあるようだ。
去年の12月いっぱいでクビに近い退職となったホテルの清掃アルバイトも偶然とはいえ、新型コロナウイルス&旅行客の減少のダブルパンチを食らう前に辞められ、結果的に言えば私は運が良かったのだと思う。今年の元旦からまた無職となってしまった。そして今、当然だがお金の無い状態になってしまった。しかし今、求人を漁り企業に応募するのは自殺行為ではないかと考える。コロナウイルスの影響により私の住む沖縄の商業施設からも人が減っている状況を鑑みても、今求職することは避けるべきである。しかしお金が無い状態は非常に肩身の狭い状態でもある。今日はついにアイコさんに1万円を借りることになってしまったのが良い例だ。つまりプログラミングの勉強をすることすらお金が無い状態では厳しくなるわけだ。無職であることのメリットといえばコロナウイルスに感染しないことのみである。
死を恐れるのであれば感染する前に仕事を辞め、無職引きこもりになることが一番の特効薬であることに間違いはない。しかし人々はウイルスに感染することよりも無職になり金欠になることに恐怖するのだ。
もし仮にコロナウイルスよりももっと強力な感染力を持つウイルスに世界がパンデミックを起こせば、まず真っ先に真面目に労働する末端の人間が犠牲になり、免疫力の弱い老人子どもが犠牲になり、と予測できる。従って皮肉にもこの世に一番必要ないとされる人種、無職引きこもりニートが最後に生き残ってしまうという最悪なシナリオだって考えられるのではないか。
これはただの仮説に過ぎないが、人類にとって一番無益と思われる人たちが生き残ってしまう理不尽さに、生き残るということの必然性と偶然性という相反する矛盾に、滑稽であると同時に人類もしくは地球上のあらゆ生命の進化の過程に驚愕せざるを得ないのである。ただし一番滑稽で驚愕なのはそんなつまらない妄想に人生の貴重な時間を浪費している人間ではないかと思う。つまりお金がなくて勉強ができないのではなく、お金がないと人は勉強することではなく、つまらないことに励み執着する獣に憑りつかれてしまうことが多いのだ。
お金がない人は学ばなくてはならないが学んだところで知れていると卑下したとしても、やはり学ばないと話にならないのではないか。そんな堂々巡りに陥っている私のような無職は無益な存在だとまたしても痛感するのである。
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アイコに一万円借りたとか(笑)
本当に寄生虫だな。
何のために生きている?
人に迷惑かけるために生きているのか?
浜田、お前がんばれよ
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