勉強して勉強して勉強して。何も残らない

毎日勉強していると考えることがある。勉強して一体何になるのかということを。

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勉強して勉強して勉強して。何も残らない

コメント欄に励ましの言葉をいただき勇気づけられた。批判的な意見もあるが、それも確かに一理あると思った。 盗人にも三分の理という言葉にもあるように、誰にでも自分なりの正義があるものだ。

私のような無職は毎日暇を持て余してしている。暇なら働けと言われるが、適当に働いたとしてもすぐに辞めてしまうのがオチだ。なので今回は腰を据えて勉強して再出発しようと思っているわけだ。しかしどんなに勉強したとしても若者に年齢で勝てるわけはない。特にプログラマーエンジニアの世界では、技術よりも年齢に価値がある。つまり余程技術力が高くなければ40手前ではエンジニアとして働くことすらできないのだ。だとすれば、私の日々やっている勉強は一体何のための勉強なのかという当然の疑問にぶち当たる。

しかし勉強においてそういった考え方は不純である。それはまるで受験真っただ中の童貞中三男子が、生徒会に所属している利発な女子に恋をするようなもので、たとえば恋をして告白してフラれたとしてその行為に一体何の意味があるのか。その失恋に何の意味があったのか。そんな疑問と同じではないかと考える。中三の恋。初恋と40代手前のプログラミングの勉強を同列に扱うことは少々無謀であると思うが、どちらも実らないという点においては同義ではなかろうか。野垂れ死にの美学とでもいうべきか。


浅はかな人間は浅はかな行動を取ると言われるように、知性のない人間もまた知性のない行動を取るものだ。思い出すと私の中三のときの通信簿は5段階評価で2が多かった。 真面目に休まず授業を受けていたのにも関わらずだ。 体育で唯一5を取ったことが自慢だったが、それも今となっては意味のないことだ。何も残らない。