友情というものは本当にもろい

来月で39歳を迎える。39年間様々な人間や動物と接してきて感じるのは友情というのは本当にもろいものだということだ。

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友情というものは本当にもろい

男女問わず友情とはほとんどの場合が感情と打算だ。人は感情で動く、その感情の基準とは楽しいかどうか。ただずっと楽しいは難しい。人によってしかもその人の現在の置かれている感情によって変化するからだ。次に打算。自分にいかに利があるかで人はその人を判断する。自分に利がなくなった時点で大抵の人は去っていく。ずっと地元にいれば友人が多いのは当たり前で、地元を離れれば疎遠になるのは人の常。友情とは一体何なのか。世に存在する友情のほとんどがお互いの傷の舐めあいだとすれば、同じ職場内であれば連絡を取り合う中でも組織を辞めてしまえば、音信不通となるのは自然なことだと言える。


こうしてブログを書いているとたまにはブックマークやコメントをくれる方がいる。ありがたい限りだ。心無いコメントに傷ついたこともあったが、何もコメントが無い状態よりはマシだということに気が付いた。ブログを書く上で何も反応がないことは地獄の中の地獄なのだ。人間は無視をされるのが一番キツイ。つまりあたかもこの世に存在していない存在意義のない状態というのが生きる上で一番精神的に苦痛なのだ。孤独が人を強くするというが、それは本当の孤独を知らない人の戯言だ。たまの孤独はいいが、ずっと孤独なのは最悪の場合、自殺を招く。


これからの日本は大恐慌時代へと突入する。自殺者も2万5千人から更にアップするだろう。だとするならば死ぬことはないのだ。友情はもろい、愛情ももろい、信じられるのは自分だけとなれば、他者の存在とは仮想現実に他ならない。人は自分が楽しいと思うことか、自分に利があることか、性的な欲求で寄ってくるのだから、それらを他者に与えられないのであれば人が寄っては来ないのは当然。人間関係など実は至極退屈でつまらない幻想に過ぎないのだ。そんな幻想の中で生きるよりも他者を良い意味であきらめ、自分のできる範囲で精一杯生きることに心血を注いだ方が、いくらか豊かになるのではないかと思う。人間は必ず裏切る生き物だと仮定すれば、たとえ裏切られたとしても相手を恨むことはないのだ。