美人の話はなぜか面白くない

私は以前、水商売やフーゾク店で働いていた。

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美人の話はなぜか面白くない

ときどき思い出したかのように思い出すことがある。なぜ美人の話は面白くないのか。

私の考える結論は、センスがないである。笑いのセンスは一部の天才を除き、日々の生活の中で磨かれることはご存知の通り。常日頃からどうやったら目の前の人を笑わせられるだろうか、と考えて生活してなければセンスは磨かれない。私の場合は常に暇を見つけては近所の野良猫を相手取り漫談を繰り広げている。猫相手とはいえ決して気が抜けないのだ。彼ら彼女らは笑うことがない。だからどうやったら笑わせられるのかということを真剣に考えるようになるのだ。つまり何が言いたいのかというと、相手が猫であろうと人間であろうと、どうやったら相手が笑ってくれるのかを考え、実行して試した数でセンスの度合いが変わってくるわけだ。


たとえばふとんがふっとんだというギャグ一つでも、相手によって反応が千差万別かと思いきやそうではない。大まかにわけると相手の反応は3パターンに当てはまる。1、笑ってくれる。2、無反応。3、つまらないなどの何かしらの応答がある。これは猫も人間と同じ反応がある。これらのことからわかることは、相手が1、2、3、のいずれかの反応をするのは理論上分かり切っている。のであれば、その反応に対してのおもしろいことをいくつか用意しておけばいいだけなのだ。たったそれだけのことを美人は準備しないのである。美人というのは基本的に受け身な人が多い。理由は美人であれば相手の方から興味を持ってくれる機会が多いからだ。興味、つまり好きな度合いが強い方が相手に対してサービスしようと思うのは当然。結果、美人は受け身にならざるを得ないのである。


美人は自分の笑いのセンスを磨く機会を相手によって喪失している。これは水商売やフーゾクで私が見てきた経験からも言えることなので間違いない。美人は男性客が楽しませようと躍起になるが、不美人はほっておかれるか、ハラスメントまがいの言葉を浴びせられることが多い。だから不美人はどうやったら客が自分に注目してくれるのかを考える機会が美人よりも圧倒的に多くなる。だから不美人は美人よりも必然的に面白くなるのである。


美人で明るい人は多くても、美人で面白いことを言う人は少ない。その場のノリや雰囲気が面白い人ではなく、面白いことを言う人が少ない理由は、女性のモテの問題も絡んでいる。そう、男性は女性に対しておもしろさを求めないのだ。おもしろさよりも優しい性格、癒し、見た目やスタイル、おっぱい、チクビの長さ、乳輪の大きさなどを求めることが多い。男女は生物的観点からも結局のところ相手に求められない要素はそぎ落とされていくのは自然の摂理。男性がおもしろくなろうとする根源は女性にモテることであり、女性は男性に見た目重視を求められるので、見た目を整えようとする。美人は男性の求める最大要素を満たしているため、それ以上に相手に対して努力しようとは思わないのだ。本当に大変なのは不美人で、見た目ではなくそれ以外の要素で勝負しなければ、孤独死一直線となる。見た目も悪い、話もつまらない、金もない。そんな人では結婚はおろか、友達を作ることすら危うい。私の場合は最悪、野良猫がいるので問題ないが、時々ふと人間と酒でも飲みたいと思う時がある。そんな暇なときはこうしてブログを書くことにしている。美人は3年で飽きる。ブスの上にも3年。ということわざにもあるように、野良猫だろうと人間だろうと目の前にいる相手に対してサービスを怠ると、いずれ遅かれ早かれ飽きられるということである。