自分よりも下の人間をみて優越感に浸ること

人間の本性。私は現実社会よりもインターネットにこそ、人間の本性が鮮明に表れていると思った。

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自分よりも下の人間をみて優越感に浸ること

実社会で面と向かって意見や批判をしてくる人は少ない。皆、言いたいことはあっても我慢したり、会社組織の縦社会によって従属し、上司には言いたいことも言えずに不平不満やストレスをため込んでいる。それが生きることだと思いこんでいる人もいるくらいに常識となっている。私の場合、言いたいことは極力、相手かまわず言うことにしている。その結果、現在友人も少なく無職となっているわけだ。


私のブログにコメントをくれる人の中にも、自分よりも下だと見下してコメントをくれる人もいる。私は彼らを責めるつもりは毛頭ない。むしろ本性むき出しのコメントに笑ってしまうのだ。何も取り繕う必要もないブログのコメント欄では、人間関係のしがらみや上司や部下のような上下関係もまったくない。そんな無秩序な空間だからこそ本音が言えるのだと思う。

 

ここ最近、暇な私は沖縄の大自然に学ぶことが多いことに気づいた。よく人は私のような無職のことをクズと形容する。しかし鳥のことは鳥になってみて始めてわかるように、クズとは何かということを理解するためにはクズになってみないとわからない。

実際、私がコメントで指摘されているようなクズになってみてわかったのは、無職はクズなどではなく、そもそもクズなどという人間は存在しないということである。生まれた人間に優劣をつける、賢いから偉い、金を稼いでいるから偉い、そんなつまらない常識に囚われてしまう。自分よりも下の人間をみて優越感に浸る。それらはすべて人間の習性なのだ。

鳥や虫や植物にもそれぞれ違いがある。人間にも違いがある。違いを楽しむ。沖縄の自然が山が海が、私にそう語りかけているようだ。