どんな人間も生きている意味や価値などない

自分の人生に生きている意味を見出そうとするのは人間の悪しき慣習である。

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どんな人間も生きている価値や意味などない

どんな人間も生きている意味や価値などない

どうしても生きていることに意味を見つけたいと思うのは人間の性。私は長い沖縄での禁欲生活で理解した。大統領も総理大臣も資本家も経営者も平社員もアルバイトも無職も犯罪者も同一であることを。
ボランティア活動に勤しむ善人も犯罪を犯す悪人も価値は同じなのだということを。価値が違うと考えるのは人間しかいない。他の生物から見て姿形が同じである以上、人間の価値は常に同一である。


人間を突き詰めて考えると、ある一点に集約される。それは死ぬことだ。人間が生きていて他の生物にメリットはない。あるのはチワワくらいだ。チワワは一人では生きていけない。だから人間は滅亡すべきだという結論になる。


このブログにも「生きる価値なし」などとコメントあるが、書き込む彼らは生きている意味や価値について本当に真剣に考えことがあるのだろうか。たぶんないのだろう。ただ働いて糞して寝ての繰り返しなのだ。

人間の生きる人生に意味や価値はない。だからこそ一生懸命にあくせくあがくのではないか。神は救済してくれない。神に頼っても神は存在しない。だから自分で意味を見出し間違ってもいいから迷い道を行くしかないのだ。

私も早くこの無職の泥沼から抜け出したくてもがいてはいるが、採用してくれる企業がないのでもうやりようがないといった感じだ。もう完全に迷路にはまり込んでいるのだ。