自分の趣味を他人に勧めてくる人の心理は単にマウント取りたいだけ

ブログなど自分の趣味を他人に勧めている人がいる。彼らは揃ってブログ仲間が欲しいとか、ブログは心身の健康に良いなどと言う。

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自分の趣味を他人に勧めてくる人の心理は単にマウント取りたいだけ

身も蓋もない話だが、例えばゲームなど勝敗のつくものを勧めてくる人の心理もまた、他者に勝利し、マウントという名の優越感に浸りたいだけなのだ。

私も過去、自分でも嫌になるくらい自分が良いと思うものを他人に勧めてきた。私としてはすべて良かれと思って勧めていたが、今となっては自分の愚かさに辟易する。私の場合、小学生のとき父に教わった将棋が良い例だ。父は私が父より将棋が強くなると、一切将棋を指してくれなくなった。結論からいうと、父の心理は「自分が負けるゲームはやりたくない」なのだ。誰でもそうだが、自分が必ず負けるゲームをやりたいと思う人間はいない。

ゲーム繋がりでいうと、私はとあるブログでボードゲームを勧めている記事を見つけた。ブログの中で彼はボードゲームの素晴らしさを力説していた。そこまではいい。次に彼はボードゲームがなぜ流行らないかをインタビュー形式で他者に聞いて回っていた。意見をまとめると、なぜボードゲームをやりたくないかの理由について、「興味がない」「他にやりたいことがある」「あなたとはやりたくない」等だった。
理由はさておき、自分の好きなことを他人に勧めてくる人は、決して悪気があるわけではない。自分の好きなことを他人にも好きになって欲しいと思う心理は、普通誰にでもある欲求だからだ。しかしその欲求の根底にある心理に気づいていない人が多い。かつての私のように。

ブログを書くことを勧めてくる人も同じく、ブログ仲間が欲しいとか、精神衛生上良いというのはキレイごと。本心は他人に勧めて、その他人がブログを書くようになって、自分があたかもブログの書き方を教える先生がごとく、その他人に振舞いたいからだ。他人に物事を教える行為ほど、簡単に優越感に浸れる行為はない。それとブログの場合、単に初心者からお金を搾取する為、情報商材を売りつける為に勧めている場合もある。あとニュース記事などに後出しじゃんけんで、したり顔でコメントする輩も自分の方が優秀だと感じたい優越感に浸りたいだけな場合が多い。ありがたいことに、このブログにも度々そういった誹謗中傷が届く。

結論、自分の好きな事や自分が良いと思う事は、自分のブログにその面白さを存分に書いたり、YouTubeで解説したり、自分の仲間内だけで楽しめばいいと思う。それかどうしても普及活動がしたいのであればプロになればいい。でも悲しいかな、他人に勧めてくる人に限って、それほど強くなかったりする。過去の私がそうだったように、あまり上手くない人に限って、他人に勧めようと躍起になっている。

ブログでも節約術でもゲームでも映画でもマンガでも本でも宗教でも何でもそうだが、自分の趣味を他人に勧める必要はない。自分だけで楽しめばいい。聞かれたら答えるくらいでちょうどいい。誰が自分が負けるゲームを進んでやりたいと思うか、誰が劣等感を味わう行為をしたいと考えるか、誰が進んでマウントを取られたいと思うか。世の中には教えたがりが多い。彼らは善意で教えているつもりだが、その実、単に自分の優越感を満たす為に他者を利用しているにすぎないのだ。

例えばこんな話がある。麻雀好きの彼氏が彼女に麻雀を教えた。次第に腕が上達した彼女は、彼氏を打ち負かすようになった。いつしか彼氏は彼女に麻雀で勝てなくなった。そしてだんだん喧嘩が絶え無くなり、結局別れてしまった。

つまり、頼まれてもいないのに他人に教えようとする人や、物を勧めてくる人は教えたり勧めた人が、自分よりも上手にできたり、強くなることは望んでおらず、常に自分と同等か、自分の方が優位にいたい、優越感を満たしたいという卑しい心理的欲求から発せられる行為に酔いたいだけなのだ。

私は自分の趣味を他人に勧めるなと言いたいのではなく、安易に他人に勧める行為の心理の裏には人間の卑しさがあり、歪んだ劣等感があると言いたいのだ。そのことに気づかせてくれた、他者のボードゲームブログには感謝している。40歳、私事だが、せめて20代でそのことに気づいていたら、友人を失わずに済んだかもしれない、友人を傷つけずに済んだかもしれない。当時、自分の独りよがりで自分の好きなものを押し勧めてしまった。後悔と懺悔。今更だが申し訳なく思っている。本当にすまなかったと思う。