40歳男、本当に本当に仕事ない

世知辛い世の中。仕事がない程度なら幸せな方ではないかと思う。世間には食っていかれない人も沢山いる。私の個人的な悩みなど大したことはない。

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40歳男、本当に本当に仕事ない

仕事は選ばなければあると人は言う。しかし20代ならいざ知らず、40男にできる仕事とと言えば、万年人手不足でいじめパワハラなどきついのに給料は安いなど、精神壊れたら即解雇な仕事ばかり。まるで精神病院へレッツゴーとでも言わんばかり。それに合わせて危険で長時間労働で数年もすれば身体壊して、地獄へレッツゴーな仕事しか残ってない。これが現実。これが後進国ニッポン。

都会では最近、毎日のように若者たちが電車に飛び込んでいる。政治はそんなことよりオリンピック開催に勤しむ。何が国民の命が大事だ。笑わせんじゃない。冗談はよしこちゃん、何がオリンピックは開催してもだいじょうVだ。国民をバカにしてるのか。と、ひとり怒鳴ってみても無職の私には選挙に出馬する資金や地盤はない。考えても己の無力さに虚しさを募らせてしまうだけ。ならば一丁頑張ってみるかと重い腰を上げ、求人情報を漁ってみても時給820円とかのショッピングモールのアルバイトしかない。警備員もあるにはあるが、危険を伴う割に給料は安い。ならいっそのこと自分で起業しよう、警備業を始めようかと思った。仕事がないと愚痴ってばかりいても金は入ってこない。ならば自分で仕事を作り出すしかない。

電車に飛び込む勇気もなく、過酷な労働に従事する根気もない。薄々気づいてはいた、30代後半にさしかかって、何となくこのままではヤバいと感じた。しかしもう手遅れだった。毒は知らず知らずのうちに体の奥深くまで回り、致命傷を与えたのだ。もしも大学を出ていればどこかの企業に潜り込めた可能性もある。しかし武器を持たぬ高卒ではもはや成すすべもない。

人が宝くじに一縷の望みを託してしまうのは、こんな状況の時なのかもしれない。かつての私の親父がそうだった。いつも春夏秋冬欠かさず宝くじを買っていた親父。働き者の親父の後姿を私は鮮明に思い出すことができる。当時、私は子どもながらに新聞の当選番号と照らし合わせ、当たれ当たれと強く念じた記憶がある。それが楽しみでもあった。親父はいつもぎりぎりまで見なかった。「宝くじが当たったら仕事を辞める」それが親父の口癖だった。親父…元気か。まだ生きているか。親父、こっちはおかげさまで何とかやってる。親父…お父さん。当たれ当たれ当たれ当たれ