強きものは弱きものを助けることが使命

早く働きたい。でも働けない。私は無職。逃げ続けて40年、もう逃げる場所はない。

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強きものは弱きものを助けることが使命

もしも私が女だったら働ける場所はちょこちょこある。ウエイトレスやスーパーのレジ打ち、今なら流行りのパパ活をやったっていい。しかし私は男。地方住みの40男に仕事はない。まるで世間から無用、無能、無価値と烙印を押された前科者のよう。あるのは介護か土木か警備員。いい求人のほとんどは、35歳以下、40歳までの年齢制限縛りアリ。他にも大卒、専門卒の学歴縛り。女性活躍中の性別縛りなどの縛り求人ばかり。まさに人生100年時代は地獄道。シニア活躍中の仕事もあるが早朝3~4時間しか働けない仕事で、時給はどれも800円~850円。これじゃ月5万も稼げない。月15万円以上稼ごうと思えば、きつい肉体労働しかない。しかし気力体力共に衰えた40歳の私にはどれもこたえる。性欲だけが空回り。

無職は甘えではない。デブも甘えではない。世界中の人間が全員働く能力のある運のいい人間ではないように、働ける人もいれば働けない人もいる。痩せてる人もいれば太ってる人もいる。ただの違いなのだ。その違いを甘えだと人は言う。違っていていいではないか。みんながみんな同じような社畜になる必要はない。

日本は何でも甘えだと言う、他人にきつすぎる社会。だから自殺も多い。普通に仕事できない人は税金で生きていい。とはならない。助け合いのない社会。長い目で見て、もっと助け合いの精神を持った方がお互いのためじゃないか。現在の生活保護受給者数は約200万人。日本の総人口1億2千万に対して200万人。比率はたったの2%以下しかいない。人間10人も集まれば、良い子、悪い子、普通の子と能力に差が出るもの。落ちこぼれた人間を邪険にする社会は、到底住みやすい社会ではない。だからいじめが無くならない。だから反社やヤクザがなくならない。だから婚活がなくならない。だからこの世界から悲しみがなくならない。

最近読んだ鬼滅の刃のセリフで「強きものは弱きものを助けることが使命」とあった。私は久しぶりに胸が熱くなった。胸やけではない。感動したのだ。もしも私が仕事のできる立派な大人だったら、経済的弱者を助けられるだろうか。無職はただの甘えだと言って切り捨てないと断言できるだろうか。今一度、私の中の道徳心に問いたい。

それはそうと、この前久しぶりに電話で話した私が生活保護を勧めた友人はどうなったのか。気になる。しかしわざわざこちらから連絡するのも忍びない。電車に飛び込んでなければいいが…。そんな経済的なことで死ぬような人ではないので大丈夫だと思いたい。生きていてくれたらそれだけでいい。