自分で自分の人生を選択してきたというのは人間の驕り

コメントにいただいた中に「人生は自分の選択の結果です」とあった。

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自分で自分の人生を選択してきたというのは人間の驕り

人生は決断の連続、人生は何を選択するかで変わる。つい最近までそんな風に私も思っていた。

自己責任、自業自得、因果応報、天罰などの神道教育の日本人に多い考え方だと思う。しかしよくよく考えてみると、そうでないことに気が付く。悪い奴ほど長生きで天罰などないし、自己責任論を唱える人は自分の人生がうまくいっている人ばかり。世の中には理不尽がまかり通り、真の平等などどこにも存在しない。本当に自分だけの意志で選択しているつもりになっている驕った人間たち。AかBか。A子ちゃんか、B子ちゃんか。あなたはどっちを選択するか。この問題を結論付けると人間に自由意志はあるのか無いのか、焦点はその一点にのみ集約する。

「自分で自分の人生を切り開く」「良い選択であなたの人生は劇的に変わる」等々の言葉自体に罪はない。むしろ美辞麗句といっていい。詐欺師や宗教家が使う常套句である。私は今まで自己啓発本を15冊以上読んできた。自己啓発系にも多い言葉だ。私もその言葉を信じ、鵜吞みにしていたこともあった。しかしである。

例えば、A子ちゃんのことが少し気になっているとして、そこにタイミング良くB子ちゃんが現れたとする。A子ちゃんも好きだけど、B子ちゃんも好き。男の今後の行動として考えられるのは、A子ちゃんに決める。B子ちゃんに決める。A子ちゃんに振られたらB子ちゃんに言い寄る。その逆から行くパターンもある。そんな風に考えているうちに一体A子が一番好きなのか、それともB子が一番好きなのか。どっちが一番好きなのか。だんだんとわからなくなってくる。そこへきて第三者のC子ちゃんも現れてしまったら…。もう男として正常な判断はできない。

人間は見聞きしたことに影響される生き物。もし本当の意味でコメントをいただいた方のようになりたかったら盲目になるしかない。目と耳を潰し口を塞げば、何物にも影響を受けずに自分の意志で選択することができる。だとしてもそれは無謀すぎる。

結局、私はAもBも盲目になることも決断できない、ただの男なのだ。驕りを捨てることは盲目になるより難しい。