読者にならないボタン
はてなブログには、はてなブロガー同士が押すことのできる読者になるボタンがある。しかし読者にならないボタンはない。なるの反対はならないである。
読者になりたいか問う
東京ブログ放浪記、略して東京。
読者になりたいかと、スーパーマーケットの前の手すりに括りつけられているプードルに問うたならば、キャンと一鳴き。虚ろな瞳をクリクリさせてぼくを見つめてくる。
プードルかわいい。35歳にもなって、プードルかわいいは犯罪すれすれである。でもかわいい。
自転車に問う
ドラックストアの前に止めてあった、風で倒れた他人の自転車を起こして直す。その数2台。そして自転車に問うた。ぼくの読者になってくれるかい?案の定、無視された。ぼくはせっかく起こした他人の自転車を蹴り倒しそうになった。我慢した。踏みとどまった。
自転車はしゃべることができないのだ。きっとどこかでチリンとベルを鳴らしてくれるだろう。いつもよりも乾いた音色で。
母親に問う
久しぶりに母親に電話をしてみた。
開口一番「読者になってくれい」と、やや上から言ってみた。それから、ひと通り説明し終わって気づいた。実家にはインターネットがないってことに。しかも母親はガラケーでネットができないプランだった。ぼくは何でもないと言って電話を切った。母親は最後にうんうん読者ね、うんうん頑張ってるねと言っていた。オレオレ詐欺よ、ぼくの実家を標的にしないでくれ頼む。このとおりだあ。
読者になるかならないか
ぼくは自分の部屋を見渡してみた。360度ぐるりと体を回転させて。
当たり前だが、そこには誰もいなかった。生命がなかった。呼吸がなかった。あるのは真っ白な壁と無機質な家具と電化製品だけだった。癒しはなかった。
酒をひと飲みして勢いをつけ、隣に住む面識のない住人に読者になってくれないかと問えば、たちまち警察の御用となり、ブログの更新は途絶えるだろう。ただ奇跡があるとするならば、うんいいよと言ってくれる気さくな隣人であるならば、壁一枚隔てて読者が「いる」というリアルが出来上がる。
そしていつしかぼくのブログに飽きた隣人は、読者にならないボタンを押すのだろう。それはそれは無機質に。
なぜ読者にならないボタンを押したんだ!ぼくは彼を隣人を問い詰める。なんで、なんでと。
彼は冷静に一言こう言うだろう。お前の書く文章に飽きたんだ。と、それはもう軽くあっさりとした空っ風みたいに。尽くして尽くして捨てられた恋人の切ない感情。惚れたら負けよ。古い演歌の決まり文句が頭の中でリフレインする。
どうして僕たちは出会ってしまったんだろう。こんな悲しい気持ちになるなら、読者にならないボタンなんかいらない。読者になるボタンもやめてくれ。
読者にならないボタンがないのは、悲しい気持ちになるから。
隣から甲高い笑い声が聞こえてきた。ぼくもつられて笑ってみた。わはは。笑いの反響。部屋が少しだけ陽気な気分に包まれた。
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