ぼくが小学生だった頃に妹にした、今でも後悔していること
ぼくには3つ離れた妹がいるんですが、ぼくが小学校4年のときに妹が同じ小学校に入学してきました。その当時、妹があまり好きではなく、入学してきても学校で妹と話すことはありませんでした。
一緒に帰ろう
そんな学校生活で、ぼくが学校から帰ろうと下駄箱で一人靴を履いているときに、たまたまなのか、気づくと妹がぼくの前に立っていました。妹は僕に向かってひと言「一緒に帰ろう」って言いました。
ぼくはとっさに「一人で帰れよ」って言っていました。
そして妹は悲しそうに一人で校門を出ていき、その姿はすぐに見えなくなりました。
夕暮れに沈む校舎が真っ赤に染まっていたのを覚えています。
高知から山梨へ
ぼくは妹と高知県から山梨県へ小学校1年のときに親の離婚と共に移り住みました。
初めて住んだ山梨県は、ぼくにとってとてもとても辛い経験でした。それもそのはず、方言がばりばりでイントネーションも違うから、同級生のいじめの対象になってしまい、学校に行くのが苦痛でしょうがなかったんです。でもその当時、登校拒否などという言葉すら知らなかったぼくは、学校に行くしか選択肢がなかったのです。
兄として
そんな方言に対するいじめにも合いながら、少しずつ学校生活にも慣れてきた小学校4年のとき、夕焼けに滲む下駄箱で自然と出てしまった。「一人で帰れよ」って言葉。
妹は、馴染めない小学校という場所で唯一、心を許せる兄に対して「一緒に帰ろう」と言ったんだと思います。
そんなこととは気づかずに、小学生のぼくは黄昏に染まる校舎を背にゆっくりと歩き出しました。でもなんだか落ち着かなかったんです。
気が付くとぼくは、妹が歩いたであろう帰り道を走って追いかけていました。
全速力でもうすぐ家につく辺りまで走ったことは、鮮明に覚えています。
最後は妹に追いついて、カッコつけながら「ごめん」と言いました。(その辺は記憶があいまいですが、たぶんそう言ったように思います)
妹よ
そんな妹も去年結婚して今では幸せに生きています。ぼくは兄として親に似ず、離婚しないで末永く2人で仲良く暮らしてほしいと願っています。
結婚式に歌えなかった、妹に送る歌をここに載せておきます。
妹よ ふすま一枚 隔てて 今
小さな寝息をたててる妹よ
お前は夜が夜が明けると
雪のような花嫁衣装を着るのか~中略~
妹よ
あいつはとっても いい奴だから
どんなことがあっても 我慢しなさい
そしてどうしてもどうしても
どうしてもだめだったら帰っておいで
妹よ・・・・・・・・・
歌詞参照:南こうせつ 妹 歌詞
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