幼女誘拐犯はなぜおばさんを誘拐しないのか
幼女誘拐事件をぼくは考える。なぜ幼女や少女を誘拐するのか考えている。ロリコンと言ってしまえばそれまでだけど、ロリコンは一種の病気だからしょうがない部分もある。ロリコンが罪なのではなく、実行してしまうことが罪なんだ。
幼女誘拐事件
ぼくには子どもがいないから適当なことが言える。自分の子どもが誘拐されたら、あんたは犯人に対して怒りを覚えないのか!死刑でも足りぬわ!と吠える親たちにぼくは尻込みする。犯人だって昔はかわいい子どもだったはずで、いつから犯罪者になったのかを解明しない限り事件は繰り返されるのだ。死刑にすればいいってもんじゃない。
おばさんを誘拐しない理由
おばさんを誘拐しない理由は簡単だ。犯人がおばさんを好きじゃないからだ。若い子が好きなんだ。それもとびっきりの若い子が。それを世間ではロリコンって言うんだけど、逆におばさんを好きな男の人はいるんだろうか。オバコンとでも言うのか。それともババコンか。ちなみにぼくはロリコンとババコンの中間地点がいい。20代後半から40代にかけて。と、ぼくの好みはさておいて、おばさんを誘拐しない理由が犯人の「好み」だけじゃ物足りない。例えばぼくが犯人になって考えたとすると、、、以下にまとめてみたけど、真面目に書きすぎておもしろくはないから読み飛ばしてしまっていい。
おもちゃ箱
なぜ幼女誘拐をしてしまうのか?ぼくはおもちゃ箱の心理だと思っている。小さい頃は自分が自由に世界を支配できる空間は少ない。唯一大人の干渉を受けずに自分だけが王様になれる世界はおもちゃ箱の中だけ。自分の部屋が与えられている子どもは自分の部屋が支配できる空間になる。ぼくは小さい頃から妹と同じ4畳半の部屋で暮らしていたから自分が自由にできる範囲は狭かった。宮崎勤もそうだけど自分の世界に浸って生きている閉鎖的な人間は、時として外界との接触を試みようとする。でも外界は自分が思い通りにできない世界。だから外界の中でも力の弱い子どもに対して目を向けてしまい事件を起こす。だからぼくも気をつけないといけない。事件だけは起こさないようにしなければ。
幼女誘拐犯もゴミ屋敷の住人も根本的には一緒
ゴミ屋敷の住人だって根本的には同じで、自分が自由に支配できる世界を構築したいんだ。誰でも一度は夢見る世界。自分が絶対的な力を得て、王になる。特別な能力を得て悪者を退治する異次元。マンガやアニメオタクも幼女誘拐犯と根本的には同じ理屈。だた、違うのは興味や性的嗜好が違うだけなんだ。もっと話を現実に置き換えると、騒音問題にも同じようなことが言える。自分の家は一番自分が絶対的支配下に置ける空間なんだけど、その空間を他人に脅かされるとめちゃくちゃ不快に思うのが人間だ。会社では平社員でも家に帰ってきたら威張りたいし偉そうにしたい。でもそれすら叶わないとなるとストレスが半端じゃなく溜まる。よって事件を起こしてしまったり、電車に飛び込んでしまったりする。ぼくもうっかり勢いで電車に飛び込み3万人の足を止めたりしないように気を付けないといけない。もし、そうなった場合は許してほしい、瀬戸内寂聴さんも許すことを説いておられる。
お願い
今、世間を騒がせている少女誘拐の犯人は自分が外界と繋がる上で自由に支配できる空間を欲していたに過ぎないんだと思う。ぼくにとってはブログが唯一、自分を自由に表現できる場だと思っている。だからもし少女や子どもを誘拐していたずらしたり、殺したりしたくなったとしたら、自分の気持ちを素直に文章に綴るといい。友達に話したりしても否定されたりするだけで不満が募ることもあるだろうから、こうしてブログに書くと少しはそのモヤモヤが晴れるんじゃないかな。ロリコンでもいいじゃない。オバコンでも、ババコンでもいいじゃない。自分をさらけ出すには勇気がいるけど、ちょっとずつなら大丈夫。誘拐なんてしたってしょうがないじゃないか。もっと楽しいことが世の中にはたくさんあるんだよ。やるならぼくを誘拐しなよ。35歳のボンクラをさ。ものすごく可能性は低いけど、もしも誘拐しちゃおっかなって考えている人がこのブログを読んでくれていたら、もう一度考え直してほしい。想像だけならいいけど。本当に誘拐はしないでね。お願いだよ。ぼくからのお願い。それだけ。
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